「異次元パワー得るための祈り」を受けた後のインスピレーションについて
◎ まえがき
・私は、2023年7月2日に、エル・カンターレ生誕館で、「異次元パワーを得るための祈り」を受けました。
・それから、毎日、インスピレーションを受けていますので、このシリーズでは、それを紹介しようと思っています。
・ただし、そのインスピレーションの内容は、私に向けられたもので、私の体験(特に霊体験)を前提に降ろされているものだと考えられます。
・一般論で、インスピレ―ションや霊言を理解するためには、相手の性格、認識力、こちらの体験、認識力、理解の仕方を知っておく必要があります。
・そこで、はじめに、インスピレ―ションを理解するための話をします。
◎ 私の受けたインスピレーションの話を理解するために
・➀ プラトンの洞窟の比喩
・主が光の話をされるときに、よく出てくるのが、プラトンの洞窟の比喩の話しです。(「洞窟に閉じ込められて、一方しか見ることができない人間が、自分の後ろから当たってくる光でできる自分たちの影を見て、それを『実在だ』と思っている」という話です。
・これは、「影しか見えない。光のほうを見ることができない。これが、この世の人間の存在の状況だ」ということを意味しています。(『法哲学入門』p43)
・『エメラルド・タブレット』の話は、光を直接見たトス神の「ひかりそのものの話」です。それをこの世の常識に置き換えて聞いても抽象的に聞こえ、意味が分かりません。(光を直接見るというのは、霊的体験の話ですが、霊的体験にも様々なレベルがあり、ここで語られているのは八次元以上の霊的世界の話しだと考えられます。)
・『観自在力』では、何枚もの鏡を反射して自分の姿を見る人のたとえ話が出ています。(もちろんこの鏡は、次元が下がると、だんだん汚れがひどくなってきます。)
(要するに、「光の話と影の話を区別して考える必要がある」ということです。)
② 永遠なるもの影
・主は、「永遠なるものの影をつかんでください」という話をあちらこちらでされています。
「普遍的なる真理とは何であるか」ということを常に見抜き、「普遍なるものの影」を追い続けることこそ、政治哲学の「使命」なのではないかと思います。(『政治哲学の原点』)
「真理の影」を一瞬なりとも捉えることができたのであれば、それを焼き付けて離さないことが大事でしょう」
(『幸福の科学の基本教義とは何か』)
現代に生きるわれわれが、普遍的な生き方をしようとするならば、あるいは「普遍」に触れようとするならば、やはり、「永遠なるものの影」をつかまなければいけません。
(『幸福の科学大学創立者の精神を学ぶⅡ』)
③ 西田幾多郎やドラッカーの思想
・幸福の科学の思想の源流にある西田幾多郎やハンナ・アレントの思想が「普遍なるものの影」です。
・主は、西田幾多郎について次のように説かれています。
結局、彼の言いたいことは、「個人があって経験があるのではない。経験があって個人があるのだ」ということです。
・ドラッカーの経営公案の最後の公案は次の公案です。
すでに起こったことをことを体系化し、理論を形成せよ。
・これはどういうことかというと、西田幾多郎は、「いろいろな思想を持つ個人がいろいろな経験をして人格形成をするのではなく、人間はいろいろな経験をして、真理に近づく(その真理は本来各自の心のなかにあるもの)」ということです。
・ドラッカーの公案は、「現実から普遍の真理を見つけよ」という公案です。
(ハンナ・アレントの「愛の概念」が普遍なるもの、あるいは「普遍なるもの影」です。『原説・愛の発展段階説』によれば「愛は存在」です。これが見える人は光が見えている人です。それ以外の人は愛の光の影を見ているのです。)
・たとえ話で言えば、「将棋の定跡をいくら学んでも将棋の名人にはなれないが、『実践を積んで、自然に定跡を指せるようになれば名人になれる』」ということです。
・将棋の定跡を学ぶようなつもりで、真理を学んでも、ほんとうの真理は理解できないということです。
・要するに、「自分たちの幸福の手段として真理を学んでも、真理は理解できない。『人生は真理を理解するためにある』とわかれば真理が見えてくる」ということです。
(「経験の中で真理を発見する」ということです。)
・私たちが中心なのではなく、真理が中心なのです。これが地動説です。したがって、私が受けているインスピレーションをこの世の常識(=天動説)で解釈しようとしても理解できないと思います。「地動説で考える」ということです。
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