SIJ03 『太陽の法』と心の戦い③ 奪う愛の苦しみ

 😐 奪う愛の苦しみ

・この記事は、シリーズSIJ「『太陽の法』と心の戦い」の記事です。

・今日は、第3章「愛の大河」の学びです。

今回の結論

・今回の結論はシンプルです。

「苦しみの原因は、奪う愛である」

・すべての「苦しみ」の原因は奪う愛です。

・当サイトでは、最近、このテーマで再三再四お話をしています。
SH03「『太陽の法』と病気③」では、「病気の原因としての『奪う愛』」についてのお話をしました。
T2004「『幸福の法』の学びの要点」でも、奪う愛の苦しみについてのお話をしました。

私の体験

・幸福の科学では、当たり前の知識である「奪う愛」のお話を何度もするのは、私が、ほんとうに、「苦しみの原因は奪う愛である」と実感しているからです。

執着がとれると、人生は、ほんとうに楽になるのです。

・ただし、現実問題としては、難しいのはそのあとです。
・執着をとると楽にはなるのですが、それだけですと、人生への刺激が足りない感じがするのです。
(調和の感動もあることはあるのですが、何かもの足りない感じがするのです。)

・そこで、仕事をはじめたり、好きなことを始めるのですが、そうすると、また執着がでてきます。

・結局、執着を完全に取り去ることはできないのです。
・そこで、執着をとる修行が必要になります。

・おそらく、この繰り返しで、人生修行は進んでいくことになるのだと思います。

・私の印象としては、霊的自己が5割を越えたところで、環境が大きく変わるような気がいています。
・当サイトでは、その実践報告をしたいと思っています。

 😐 主のお言葉

・参考までに、「奪う愛の苦しみ」に関する主のお言葉を書き添えます。

つまりは、地獄霊といっても、天上界の光に対抗しえるような強力な存在でもなんでもなく、やはり彼らも、「愛されたい存在」なのです。悪霊たちも、ほんとうは、もっと愛されたいのです。いろんな人からやさしくしてもらいたいのです。彼らの本心には、「愛がほしい、もっと愛が欲しい」という気持ちがあります。(『太陽の法』p179)

 

苦悩には苦悩の意味があり、悲しみには悲しみの意味があるのです。つまり、苦悩や悲しみがあるということは、私たち人間に、選択をせまっているのです。選択とは、何か。つまり、私たちのひとりひとりが、与える側の人生を選ぶか、与えられる側の人生を選ぶか。その選択です。(『太陽の法』p148)

世の中の人々の苦しみを見ていると、たいていの場合は、欲しいと思うものが手にはいらないことによる苦しみです。
 「欲しいと思うものが手に入らない」という苦しみは、結局、「自分は他の人から愛されていない、評価されていない」という苦しみです。その評価が精神的なものであれ、物質的なものであれ、「自分は評価されていない」という苦しみなのです。(『幸福の法』p134)
物質的な面については、ある程度、諦めがつくこともあるのですが、精神的な面、特に人間関係における精神的な面については、苦しみからの脱却は、なかなか難しいものがあります。なぜなら、他の人の気持ちというものは、なかなか自分の自由にならないからです。(p135)
 大事なことは何であるかというと、「もう、いいかげんに、『人から貰うことで自分が幸福になれる』という考えは捨ててはどうか」ということです。(p149)

今回の結論

大事なことは、「奪う愛」の考えを捨てようと思うことです。

 

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