・このページは、新シリーズ「幸福の科学の歴史と私の体験」の記事です。
・今回は、私が東大をやめて幸福の科学の職員になるまでの心の葛藤の話です。
・今回の記事を書くにあたって、私は、タイトルに悩みました。
・表題以外に私が思いついたタイトルは以下のとおりです。
「幸福の科学・職員への決意」
「私は、なぜ、幸福の科学の職員になったか」
「信念をつらぬく」
・私の正直な気持ちは、上のボツにしたタイトルのとおりです。
・しかし、まわりの人から見たら「なぜ、東大をやめるの?」という感じだったと思うので、ニーズ思考で表題のタイトルにしました。
😕職員なるまでの経緯
・まず、心の中で起きたことと、実際に起きたことの経過説明をします。
(幸福の科学の職員になった年からさかのぼってお話をします。)
・幸福の科学の職員になったのは、1991年の4月です。
・その時、私は、東大をやめて、つくばの農水省の試験場で働いていました。
・農水省の研究機関に移ったのは、将来、幸福の科学の職員になろうと勝手に思っていたからです。
(農水省の方々には、大変ご迷惑をおかけしたと思っています。)
・もしも、研究者として一生をすごす気なら、東大にいた方が環境的にはよいので、動かなかったと思います。
(つまり、現象的には、私は農水省をやめて幸福の科学に奉職したことになっていますが、私の心の問題としては、幸福の科学に奉職するつもりだったから東大を辞めたのです。)
😐表面意識と守護霊の葛藤
・そこで、今回の主題にはいります。
・世間的に言うと、「なぜ、幸福の科学の職員になる決意をしたか」という話をすることになると思います。
・しかし、私の考えは少し違うのです。
・何か運命的に決まっている感じがしていて、決意とか決断はしていないのです。
(実は、東大の受験を決めたときもそうでした。表面意識では京大に行きたかったのですが、なぜか東大受験の方に運命は流れていきました。)
・霊的に説明すれば「守護霊の導き」だと思います。
(一つ現象的な話をするとすれば、『太陽の法』(旧版です)で、主が真理への道に立たれるまでことを書いた部分を読んで、涙を流したということは強い印象として残っています。)
・したがって、そこにあったとすれば決意ではなく、表面意識と潜在意識(守護霊)の葛藤です。
・幸福の科学の職員になることには大きな抵抗もなかったのですが、どこかで「ほんとうに信じてよいのか」という気持ちもあったのは事実です。
・その最大の理由は、「『太陽の法』に出てくる、人類の歴史に4億年の歴史がある」という話です。
・科学者としては、どうしても合理的に説明できないような気がしていました。
・しかし、その不安を吹き飛ばすような事件が起きたのです。
・その事件については、次回にお話をします。