SEG200528 絶対信仰への誘い⑤ 「執着を捨てる」ということ

😐 キリスト教的な執着の捨て方

・⇒「SEG200526絶対信仰への誘い④」で「執着を捨てるには、この世が仮の世であることを信じればよい」というお話をしました。

・これはどちらかと言えば仏教的な「執着を捨てる方法」です。
・今回は、キリスト教的な「執着を捨てる方法」のお話をします。

ケン・フォレットの「大聖堂」

・イギリスの作家のケン・フォレットの「大聖堂」という作品があります。
・この続編の後半に、ペストに襲われた町の(施療院の役目をしている)修道院の様子が描かれています。
・そこでは、進歩的な修道女(主人公に近い正義の人です)がマスクを推進するのでが、それに反対する修道院長(悪役です)がその修道女に反対をして、マスクをするのは魔女のしわざとして糾弾しようとする姿が描かれています。
(このカルマが今の世相に反映しているのだと考えられ、大変興味深い内容です。)
(ただし、ケン・フォレットの思想自体はどちらかというと民主党の思想に近いです。)

修道院長の悪魔?光?の言葉

・その小説のなかで描かれていた修道院長の言葉に、私はすごく感動したのでそれを紹介したいと思います。

・修道院長の言葉は次の通りです。

議論してはならない。われわれは主のお導きに従うのみだ。-主の望みが、意志の小さきわれわれ人間にはどんなに愚かで、罪深く、そして残酷に映ろうとも、だ。われわれは弱く、小さい。その理解はあさはかであり、いかなる決定も、選択も、下し得ない。われわれの義務は一つ。従順であることだけだ。

・小説ではこの言葉は「悪魔の言葉」として描かれています。
・しかし、信仰心が深い人間がこの言葉を文字通り受け取れば、完全に悟りの言葉です。
(この辺に光と闇の戦いの難しさがあるのだと思います。)

絶対信仰への道

・「主のお導きにしたがうのみ」というのは絶対信仰の境地です。

・主は、「君よ、涙の谷を渡れ」で次のように説かれました。

この世の教育や、この世での経験や、この世の価値観では、仏法真理の真の真なるところを測ることは、決してできないからです。
だから、私は言います。
証明する気などありません。
ただ信じなさい。

どうか、信じてついてきてください。
ただ、ついてきてください。
判断しなくて結構です。
ついてきてください。

最後に、もう一度、言います。
君よ、涙の谷を渡れ。
これが、あなたがたに伝えたい私の言葉です。

・執着を捨てて従順になれば、絶対信仰という最高の幸福を手にすることができます。
・信仰心と強くすれば、執着を捨てることができます。

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