・この記事は、シリーズ「幸福の科学の歴史と私の体験」の記事です。
🙂 学習の絶頂期であった1989年
幸福の科学の教えと活動
・1989年は心の教えがたくさん説かれました。
・新年から、西荻にある研修ホール(確か元お風呂屋さんの二階だったと思いますが)で、毎週のように先生のセミナーが開かれていましたし、関西でも『ユートピア価値革命』のセミナ―が開かれました。
・私たちにとっては、最高に幸福な時期で、多くの人が、『自分たちの悟りが進み光の天使になれる』という希望が持っていたと思います。
・しかし、残念ながら、当時は、心をそれほど深めることができませんでした。
🙂 心の修行が身につかない理由
・心の修行を考えるためには、一人ひとりの心のレベルと個性ということを考えなければいけません。
・過去世に心の修行をしてきた人もいれば、あまりしてきていない人もいると思います。
・なかには、全然魂の記憶にない人もいるかもしれません。
・私の場合、「過去世で仏教はある程度学んでいた」という自覚はあります。
・その証拠に、『仏陀再誕』の教えとか、『永遠の仏陀』の教えは大好きで、よく読みました。
・しかし、当時は、主の教えが深く心に刻まれることはありませんでした。
・『仏陀再誕』の「静かに行くものは遠く行く」という教えが大好きですが、現実のなかではいつも焦っていたと思います。
・『人生の王道を語る』の「平静心」の教えも大好きですが、現実には、毎日心が揺れていました。
・努力論の教えも嫌いではありませんが、現実には怠け者です。
心の修行が身につかない理由
・なぜ、そうなるか、思いつくところを列挙します。
① 心の次元構造
・人間の心の中には、地獄的な心から菩薩の心まで様々な心が存在します。
② 地上の波動
・三次元の波動のなかでふつうに生きていると三次元の心、つまり、肉体中心の考え方がでてきます。
③ 現実を見たくない心
・しかし、私たちは、みにくい自分の姿を直視したくありません。
・そこで、自分の肉体中心の考えを放置するので、怠け者になったり、焦ったり、心が揺れるのです。
(要するに反省できないのです。)
使命実現に向けて
・それでは、どうすれば反省ができるようになるのでしょうか。
・最近、気がついたことは、「自分を見たくない心に二つの両極端のタイプがある」ということです。
・かんたんに言うと、「人が許せないタイプ」と「自分が許せないタイプ」です。
・人が許せないタイプは、自分は真理をわかっていると思っているので反省できません。
(要するに慢心です。)
・自分が許せないタイプは、使命実現から逃げているので、ほんとうのインスピレーションが降りてきません。
(グルグルタイプです。)
今回の結論
・ということで、今回の結論は「自他を許すこと」です。
(参考経典『大悟の法』)
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