A9A02 勘違いしやすい真理 - 教えの原点と信仰心を考える(1986年)    

・この記事は、シリーズ9A「奇跡の実証・天上界との交流」の記事です。
・最後に、前の記事A9A05a3「私の失敗体験と宏洋さんの件の共通点」の補足記事も出ています。

 

😕多くの人が勘違いをしている真理

・少し前の記事で、「本音トークをするためには、真理を基準にする」というお話をしました。
・ところが、「真理を基準にする」ということは意外に難しいのです。
・なぜかというと、どうしてもしてしまう「真理を勘違いしていること」があるからです。

・その「勘違いとは何か」というと、
「真理を実践している人がよい人で、真理を実践していない人が悪い人」
と思ってしまうということです。

・たとえば、みんさんは、
「愛を与えている人がよい人」
「真理の勉強をしていない自分はダメな自分」
「反省ができないあなたは悪い人」
「発展している自分は成功している」
などと思っていないでしょうか。

・実は、この考え方は勘違いなのです
・この考え方のどこが勘違いなのでしょうか。

😐真理を実践している人などほとんどいない

・冷静に考えてみていただきたいと思います。
・この基準で自分やまわりの人を判断すると、どうなるでしょうか。
世の中、悪者しかいなくなります

・世の中の人はみんな自己中です。
・怠け者です。
・反省ができません。
・すぐ慢心します。

・真理を実践できていない人を悪い人にすると、あちらにも、こちらにも悪い人しかいなくなります。
(聖書には「あなた方のうちで、罪のないものが、この女に石をなげなさい」というイエス様の言葉が出ています。
・罪のない人間はいないのです。)

・したがって、この基準でものごとを考えると、「悪いこと探し」か、「どちらの方がよりましか」という、およそユートピア建設とは程遠いレベルのことしか考えられないのです。
・この基準で、本音トークをするとしたら、「私は真理の実践ができていない」という反省の話ぐらいです。

🙂なぜ、幸福の科学にはレプタリアンの幹部が多いのか

日本人的謙虚さは、ユートピア建設においては悪になることが多い

・こうした自己評価をしていると、なかなか「私は菩薩になる」という気持ちは生まれてきません。
・ひとに向かって、「私は菩薩になる」というと、慢心していると思われてしまいます。
・日本では、「私は菩薩になんかなろうと思っていません」という一見謙虚に見える考え方をよしとする風潮があります。

・しかし、「菩薩になりたい」と思う人間がでてこなければユートピア建設はできません。
・したがって、日本人のこの傾向性はどこかおかしいのです。

・この風潮に立ち向かわないとユートピア建設は進まないのです。
・それを実践しているのが、レプタリアン的な人々です。
・だから、幸福の科学ではレプタリアン的な人の方が出世しやすいのだと思います。

🙂正しい基準とは何か

・それでは、同じ真理を実践していない者同士を分ける決め手は何なのでしょうか。

・それは、「真理を実践している人がよい人」なのではなく、
「真理を実践しようとしている人がよい人」ということです。
(これが信仰心ということなのです。)
・真理を実践できていない人は悪い人ではないのです。真理を実践しようという意欲のない人が悪い人なのです。

・幸福の科学の初期からの信者さんはよく覚えていると思いますが、「幸福の科学の会員の条件は、「正しき心を持っている人」ではなく、「正しき心の探求をしている人」なのです。
・真理(仏)に向かうことが信仰心なのです。

・『仏説・正心法語』に「我ら 光の菩薩」と説かれているのは、「みんな菩薩を目指すべし」という意味なのです。
・仏を目指すのが菩薩なのです。

・この勘違いを正すことができると、本音トークができるようになると思います。
・大事な話ですので、このテーマは、今後とも掘り下げていきたいと思います。

⇒A9A05a3「霊界事情と地上の現象」の補足記事

・と、ここまでは、24日までに書いたものです。
・ここからは、26日の朝のインスピレーションです。

 🙂 宏洋さんと私の共通点の意味するもの

・キリスト教 ⇒ 愛
・中国的仙人思想 ⇒ 自由
・哲学的部分 ⇒ 本質論 これが、信仰心につながるかどうかが問題

・この三つに関しては、これからの記事でお話をしていきます。

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