A9C01 幸福の科学との出会い(1986~1987年) - 霊言を買うのが恥ずかしい

・この記事は、シリーズ9C「幸福の科学・戦いの歴史」の一番面の記事です。

🙂幸福の科学での二つの体験

・幸福の科学にいると、二つのまったく逆の体験をします。

・一つは、感動体験です
・反省をして涙を流したり、光の体験をしたり、奇跡の体験をします。
・私の経験した感動体験は、シリーズ9A「奇跡の実証・天上界との交流」でお話をします。

・もう一つは、羞恥心との戦いです。

・日本という国は、世界でもまれにみる、宗教に冷たい国です。
・信仰告白をするには、とてつもない勇気が必要です。
・幸福の科学での活動は、羞恥心との戦いの連続です。

・私の体験をお話します。

😐羞恥心との闘い

幸福の科学との出会い

・一番初めの戦いは、幸福の科学との出会いから始まります。

・私自身も多くの方が、そうであるように、宗教を偏見の目で見ていました。
・私がはじめて「キリストの霊言」や「坂本竜馬の霊言」というタイトルを目にしたとき(1986年の幸福の科学設立の年です)の印象は、「こういうものがあるから世の中が悪くなるんだ」というものでした。

・「『キリストの霊言』や『坂本竜馬の霊言』はおかしい」と思っていた私ですが、霊的世界の存在は否定はしていませんでした。
・その後、スェーデンボルグの本などを積極的に読むようになり、幸福の科学の本も買うようになりました。
・はじめて買った本は「高橋信二の霊示集」でした。(1987年の1月だったと記憶しています。)

はじめての「霊言購入」

・前段が長くなりましたが、今日、お話をしたい体験談は、そのあとのことです。
・「高橋信二の霊示集」のあとに、私が買いたかった幸福の科学の本は、「荘子の霊言」でした。
・私は、荘子様の大ファンで、高校1年生のころから「荘子」を何度も何度も読見返していました。

・話は、横道にそれますが、そうした理由もあって、私は宏洋さんの言動には注視していました。
・同じ霊系団ではないと思っていますが、かなりご縁のある方であると考えています。
・ですから、⇒B090918「過去世と今世の違い - 宏洋さんの件で思うこと」でお話をしていることは、客観的な内容ですが、身につまされた内容です。

・さて、話は戻って、「荘子の霊言」を買う時の話です。
・私は、ここで、非常に不思議な(あるいは現代の日本人にとってはアルアルの)心の体験をしました。
「荘子の霊言」を買うことがすごく恥ずかしかったのです。
・まるで、アダルトビデオを借りるようにドキドキしていたのを覚えています。
・客観的には、本屋の店員さんが、どんな本を買おうと気にしていないのはわかっているのです。
・まわりの人も何とも思っていないこともわかっているのです。
・でも、ドキドキしたのです。

ドキドキするときにどうするか

・ここで、何を言いたいかというと、「人は、ほかの人が『どうでも良い』と思っていることで、勝手に身動きができなくなっている」ということです。

・そして、「これが、その人の運命を決めていることもある」ということです。

・もしも、私が、その時にはずかしさの方が勝って「荘子の霊言」を買わなかったとします。
・そうすれば、きっと、幸福の科学の職員にはならなかったと思います。
・人生はぜんぜん違ったものになったはずです。

人生は、選択の連続です。
・多くの人間は、人生の選択で楽な方を選びます。
・ドキドキする体験からは逃げたくなります。
・しかし、その選択は、だいたい(あるいは絶対に)間違った選択です。
人生ドキドキするときは、ドキドキから逃げてはいけません。

・「楽な道と厳しい道があったなら、厳しい道を選べ」というのが人生の金言です。

・このときに選択を間違えると、悪の循環に入ることがあります。
・このことに関しては、A409「恐怖心の克服法① 私の体験」でお話をしています。

・逆に、正しい選択に関しては、A9A03「天才と凡才の違いー天才は難問が好きな生き物である」でお話をします。

・私の人生のいろいろな体験は、⇒A409「恐怖心の克服法① 私の体験で紹介をしています。
・シリーズ9Cのガイダンスページは、⇒A9C00「幸福の科学・悪霊との戦い」です。