A9A01c2 私は、なぜ、東大をやめたのか② - 「だまされてもよい」という気持ち

⇒A9A01c「私は、なぜ、東大をやめたのか①」の続編です。

 

🙂不安をふきとばすできごと

・前回の記事では、「真理の道に入るにあたって表面意識と守護霊の葛藤があり、その葛藤を吹き飛ばすことがあった」というお話をしました。

・その葛藤を吹き飛ばすできごととは、『黄金の法』との出会いです。
・私にとっては、『黄金の法』との出会いは、まさしく事件だったのです。

・『黄金の法』では、人類の歴史が霊的視点からえがかれています。
・そこには、ありとあらゆると言っていいほどの偉人、賢人が出てきます。
・それが、見事な整合性をもって説かれているのです

・これを読んだときの驚きは、なんとも表現できないものがあります。た

🙂「信じる」「信じない」を超えた世界

・話は飛びますが、私にとっては、世の中の存在は驚きの対象です。
・「人間がものを見ることができること」は驚きです。
・「生物の小さな細胞にあれだけの機能が含まれていること」も驚きです。
・目の前にある現代文明も驚きです。
・もちろん、いつもいつも驚いているわけではありませんが、とにかく、世の中で起きていることは当たり前ではないのです。

・『永遠の法』を読んだ時の印象は、その驚きが全部凝縮されたような感じです。
・それだけではないのです。
・その驚きの世界がどのように創られているかを説明してくれていました。

・『黄金の法』の世界は、信じる信じないの世界を超えた世界でした。
(神様に対して失礼な言葉かもしれませんが、そのときの正直な気持ちを言葉にすると「負けた」という感覚です。)
・「大川隆法という方は、私の想像をはるかに超えた人である。この方にだまされても後悔はない」そう思ったのです。

・たとえ、この本に書いてあることが全部作り話であったとしても、「大川隆法という人が、私よりもこの世界がはるかによく見えている」ということだけは確かです。
・「私自身が世の中を正しく見ることができていないならば、だまされても、だまされてなくても同じことだ」と思ったのです。

🙂信仰の世界

・そこからは、何があっても、「大川隆法総裁先生についていこう」と決めたと思います。

・つまり、私は、大川隆法総裁先生の説く法に魅せられ、それについていくことを決めたのです。
・その意味では、意外に、はじめから信仰心はあったかもしれません。
(蟻と太陽のたとえではありませんが、そういった意味での信仰心はあると思います。⇒これを書いていて思ったのですが、これは意外に頭がよくなる秘訣かまもしれません。次の機会にそれを書きます。)
・たとえ同じ言葉であっても、大川隆法総裁先生が説かれたことと、ほかの人が言ったことは、私にとって、まったく別物です。

・これを書いていながら、ふと思ったのですか、幸福の科学の理事長をしていた某レプタリアン氏も、過去世において、力負けをして帰依したと言われています。
・アングリマーラもお釈迦さまと対決しようとして、法力にうたれて帰依しました。

「負けた」と思う感情は、我が強い人間が帰依するのに大切な感情なのかもしれません。

・信仰の世界に入るには、どこか飛び越えなければいけないところがあります。
・飛び越えるには、「勇気を持つか」、「現実を直視して、我を通しても幸福になれないことを悟るか」、「負けを認めるか」のどれかなのかもしれません。

・明日(10月6日からは、少し悪霊との対決関係の話を続けるつもりです。そのあとに、「頭がよくなるための話」をする予定にしています。

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