・このページは、シリーズ「幸福の科学の歴史と私の体験」の記事です。
🙂 真理の基礎が説かれる・1987年
・幸福の科学の第一回の講演会が行われた1987年のお話をします。
1987年当時のようす
本格的な活動の開始
・1987年は、幸福の科学の活動が本格的に始まった年です。
・3月に第一回講演会が開かれ、月刊誌が発刊され、『太陽の法』『黄金の法』『永遠の法』が発刊されました。
宗教界に衝撃
・宗教界には衝撃が走ったと思います。
・宗教では前代未聞の入会試験というものを実施しながら、会員数は年末には何千人になっていました。
会員の活動
・当時の会員は、教えを学ぶ感動でいっぱいでした。
・新刊が出るのを待ちわび、書店巡りをしていた人は多かったと思います。
・講演会の申し込みには往復はがきで行われていましたが、私は(先着順なので)自宅に往復はがきを準備していた覚えがあります。
・講演会での書籍や小冊子、テープの販売コーナーはすごい人だかりでした。
・新刊販売を待ちわび、書店巡りをしていた方もたくさんいました。
幸福の科学の教え
・1987年は、真理の基礎となる部分が説かれました。
・柱は、次の2点です。
① 真理の探究、学習、伝道
・当時はイメージづくりのためのスローガンのような感じがしていましたが、実は、これは宗教の根本を表すものだと思います。
② 四正道と十大原理
・正しき心の探究の具体論です。
・今回は、「真理の探究、学習、伝道」の話をします。
私の当時の理解
・当時の私は、「真理の学習」という言葉を学校の勉強と同じように考えていたと思います。
・つまり、「真理を知識的に理解することができれば、悟りが深まり、伝道もできるようになるのだろうな」と思っていたような気がします。
(ただ、私の場合は、学校の勉強でも右脳を使っている部分もあるので、まったくの勘違いでもないような気もしています。)
まったく理解できていなかったこと
・当時、まったく理解できていなかったのは「探求」という言葉です。
・これが宗教の根本であるのに、それが理解できませんでした。
・そして、私が痛切に感じるのは、いまだに多くの(職員を含めた)信者さんがこの言葉を理解しようとしていないことです。
・探求ということは、仏教で言えば、「菩提心」ということです。
・キリスト教で言えば、「求めよ」ということです。
・一般の人生論で言えば、「指針」とか「夢を追う」とか「理想を求める」ということです。
・あるいは、「熱意」ということでもあります。
・総本山・正心館には、主から、研修として「指針シリーズ」を賜っています。
・多くの人は、指針シリーズの公案の内容を指針ではなく、「実現しなくてはいけないもの」と考えているような気がします。
・この結果主義が、真理を感動ではなく、苦しいものにしてしまっていると思います。