トルストイのことば
・トルストイの「戦争と平和」が聖書であることの第一の根拠は、トルストイ自身の言葉にあります。
・「戦争と平和」は次の言葉で終わっています。
第一の(天文学の*)場合においては、空間に実在せざる不動の意識を拒否して、おのれの感知せざる運動を承認しなければならない。第二の(歴史学の*)場合においては、同様に実在せざる自由を拒否して、おのれの感知せざる被支配的状態を承認しなければならないのである。
*( )の言葉は私がつけた注釈です。
・トルストイがこの文章で言いたかったことは、「歴史は『人間の自由意志』の積み重ねでつくられていくのではなく、天上界の力でつくられている」ということです。
・前半の(第一の)部分は地球の自転のことを言っています。
・つまり、「『人間の勝手なきままな自由意志の力で歴史がつくられると考える』ということは、『地球が自転をしていることを知らずに“動いていない”と考える』のと同様におろかなことである」ということです。
・またトルストイは「戦争と平和」の解説で、次のように言っています。
私の希望するところはほかでもない。わたしの表現しようと思いながら、細説することを不都合と感じたような点に、読者が注意を向けるということである。
これは小説ではない。叙事詩ではなおさらない。歴史的記録ではさらさらない。
・「戦争と平和」は、みんなが考えているような小説ではないのです。
・そして、次のように言っています。
偉人英雄の行動が私の興味を感じさせるのは、歴史を支配している(とわたしは確信する)予定の法則と、もっとも非自由な行為を行っている人間が自分自身の自由を証明するためにいくたの回顧的推理を想像の中でつくり上げさせる心理的法則、この二つの法則の挿絵の意味にすぎないのである。
・この文章を意訳すると次のようになります。
私がほんとうに書きたかったのは、私が確信している歴史を支配している神が創った法則と人間の自由に対する考え違いについてである。
偉人英雄の行為の描写というのは、事実としては天上界の計画と人間の自由意志による混乱の双方の結果でつくられるものであり、心理的には「自分たちが自由である」と思いたがる人間が想像のなかでつくりあげた妄想にすぎないのである。
(ちなみに、トルストイの結論は、「ユートピアとは人間の自由意志が神のおきてにしたがった世界」です。)
(種明かしをしますと、「奇跡物語」の結論も同じです。)
・要するに、「戦争と平和」は「神の法則と人間の生き方」について書いた預言書なのです。
(いちばん自由度が少ない人間が「偉人英雄だ」ということも言っています。)
・なお、「戦争と平和」は、愛と悟りとユートピアに関して書かれている作品ですが、このことについては、参考資料22~24「『戦争と平和』と『太陽の法』」で説明をします。
(2020年6月26日)
参考資料の公開予定
・参考資料の公開予定は以下の通りです。
・⇒MSR001「トルストイの『戦争と平和』の主人公ピエールの体験と私の体験」
・⇒MSR002「『戦争と平和』は聖書である」①
・⇒MSR003「『戦争と平和』は聖書である」②
・⇒MSR004「『戦争と平和』は聖書である」③
・⇒MSR005「『戦争と平和』は聖書である」④
・⇒MSR006「フリーメーソンと幸福の科学」①
・⇒MSR006「フリーメーソンと幸福の科学」②
・⇒MSR006「フリーメーソンと幸福の科学」③
・⇒MSR006「フリーメーソンと幸福の科学」④
・⇒MSR006「フリーメーソンと幸福の科学」⑤
・7月6日~7月17日 「ピエールの悟りへの道」①~⑪
・7月18日~7月21日 「『戦争と平和』と『太陽の法』」①~③
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