MS2341 「奇跡物語」221 努力の問題か、才能の問題か

「奇跡物語」第2篇

「絶対幸福の境地」と「1億円の資金作り」を目指すサトルは、『秘密の法』を自分の「常識」に変え、世界を、より美しく、喜びに満ちたものにすることができた。そして、日々、神に生かされていることの神秘に感謝している。
「奇跡物語」第2篇はその実践記である。

・詳しくは、⇒GMS05「『奇跡物語』第2篇記事一覧」をご覧ください。

(以下本編 第3章3「それぞれの念い」)

[努力の問題か、才能の問題か]

・さとるは、「ブルーピリオド」を読んでいて、同じ受験のことを描いている「ドラゴン桜」の漫画のことを思い出した。

・「『ドラゴン桜』は、小学校レベルの学力しかない不良を集めて東大に合格させる」という漫画である。現実世界で、「ドラゴン桜」や「ブルーピリオド」のようなことは可能なのであろうか。それとも漫画の中の世界だけのことなのであろうか。
・何となく考えると、芸術の世界は才能が優先される世界であるのに対し、学力の世界は努力の量がものを言う世界であるような気がする。(つまり、「才能ある人間であれば芸大に受かるし、努力家であれば東大に受かる」というイメージである。)

・しかし、さとるの考えでは「ブルーピリオド」に描かれている芸術の世界も、「ドラゴン桜」で描かれている学力の世界も同じように見える。
・さとるには、「ドラゴン桜」には、受験勉強の本質に迫った部分が書かれているように思える。その本質を理解する人間が、その本質に沿って勉強すれば学力は格段に上がるであろう。一方、それを方法論ととらえて、方法をマネしても学力は上がらないであろう。

・それでは、どのような人間が本質を理解できるのか。
・それは、心のうずきのある人間である。
・<「勉強したい」という心のうずきのある人間には「勉強の本質」が見える。一方、「名誉のために東大に入る」のが目的の人間には、「勉強の本質」は見えない。だから「ドラゴン桜」で伝えようとしている勉強法の内容は伝わりにくい>と、さとるは考える。
(このあいだ「ドラゴン桜」の第2作がテレビで放映をしていた。ちょっとみただけだが、そこでは「勝負に勝つ」という精神面の話が描かれていた。これは、これで別の話である。それぞれの世界にそれぞれの本質がある。)

(7月22日)

第3章3「それぞれの念い」小題

⇒[それぞれの念い]
⇒[真の弟子になるために]
⇒[さとる、救済を考える]
⇒[マカン・マラン]
⇒[心優しき富者は世界を救えるか]
⇒[ユートピア建設に逆行する愛の心]
⇒[愛の勘違い]
⇒[人類の永遠の課題を解くチャンス]
⇒[愛は風の如く]
⇒[七次元の世界に届いている]
⇒[心の世界と物質世界]
⇒[人間は見たいものしか見ない]
⇒[永遠の今]
⇒[努力の問題か、才能の問題か]
[神の愛を感じる](7月23日)

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「奇跡物語」

第1篇 『鋼鉄の法』篇(火と水の試練) (公開済み)
[宇宙戦争編]:コロナパンデミックが起き、米中戦争が始まる。
[心の法則編]:天上界からのインスピレーションを受けたサトルは絶対幸福の境地をかいま見るようになる。
[投資編]:経済崩壊のなかで、株価の下落を見込んだサトルに対し、実際の市場はバブルを形成し、サトルの投資成績はマイナスに終わった。

サトルの受けているどのインスピレーションが「高次元の世界から来ているのか」、「表の世界から来ているのか」、「裏の世界から来ているのか」、はたまた「闇の世界の影響もうけているのか」、そして「ほんとうに人類の救済ができるのか」、その結果は第2篇で次第に明らかになってくる(と思われる)。

公開済みの記事をご覧になりたい方は、
⇒GMS02「『奇跡物語』第1篇 記事一覧」
⇒GMS03「『奇跡物語』参考資料一覧」
⇒GMS04「『奇跡物語』外篇記事一覧」
をご覧ください。